母に捨てられた男の話 ( TORIO )
タイトルは悲惨ですが、別にわたしが捨てられたわけではありません。
捨てられたのは、探偵雑誌です。まあ、それはまたそれで悲惨ではありますが。
あれは就職して実家を出てから、1年ほど経ってのことでしたか、もう40年近く前の話です。
ある時、母から電話がかかってきたのであります。
「あんたの雑誌が、ゴキブリの巣になっていて、とんでもない思いをしたわよ!」
え〜! いくら何でも部屋の中だぞ。そんな状態になるわけがないでしょ。
よく聞くと、こうなのです。
あの当時、わたしは誰もがそうであるように(?)、本棚からあふれた本、雑誌を床に平積みにしていたのでした。多分、縦横1.5メートル、高さ1メートル程度ですから、そう大した量ではないですね。
それでも、そういう状態が許せない母は、本の整理を始めてしまったようなのです。
昭和一桁生まれの人間は、それなりに書物に敬意を持っています。それゆえ、本を捨てるという行為に躊躇した母は、一部の本、雑誌を外の物置に移動、格納することにした模様。要するに隔離政策ですね。
基本的に本に対する母の感覚は、市場価値とは無縁、ようするに外観です。キレイかキタナイか、これだけなのです。ブックオフ的価値観とでも言いましょうか。
まずは、この観点からの選別が行われた模様です。最初に対象となったのが、古い探偵雑誌だったことはある意味で当然の帰結です。
宝石、探偵倶楽部、探偵実話、もう誌名も忘れたカストリ雑誌、新青年少々、などなど。まあ、お世辞にもキレイとは言えませんし、特に戦後すぐのものは紙質も最低ですから。
さらに、この手の雑誌には、致命的な問題があったのです。
表紙ですね。ご存知のように、たいてい女性のポートレイトが描かれているのですが、これと母との相性が良くなかったようです。
こんな表紙なのですが、お気に召さなかったらしい。どうも夜の女、俗称パンパンを連想させたのかもしれません。
さて、なんとかその手の雑誌を物置に押し込んで、一段落していたある日、何気なしに物置を開けてみると、な、なんと、前述の状態になっていた、というわけなのでした。
パニックった母は、殺虫剤を狂気のように散布、何匹かを葬った挙句、
「すべての雑誌を翌週のゴミの日に廃棄した」
というわけです。
そのような暴挙に及んだのであれば、謝罪の一言でもあって然るべきだと思いますが、母の論理はそうではない。
「あんたがあんな雑誌買ってたから、こんなヒドイ目にあったのよ!」
わたしに雑誌購入責任があると強弁するのであります。企業に厳しいPL法でも、そこまで無茶は言わんぞ。
さらば宝石、さらば新青年、もう会うことはないだろう。
その当時、もうミステリ自体にあまり興味がなくなっていましたし、その手の雑誌を読むこともないとも思っていましたから、それほどショックを感じませんでしたけど。
しかし、ひどい話でしょ。
意外な再会
それから数年して、実家に帰っていたある日。見慣れないダンボールを見つけたのです。訝りながら開けてみると、中から出てきたのは、30年代の旧「宝石」でありました。
あれ、全て捨てられたのではなかったのか?
どうも、これは母の魔手から逃れていたようなのです。なぜでしょうか。
理由はすぐわかりました。これまた表紙なのですよ。
乱歩編集の「宝石」と人間国宝
「宝石」は、戦後の探偵小説界を牽引してきた探偵雑誌の雄なのですが、昭和20年代後半から売れ行き不振、30年代にはその存続さえ危ぶまれる状態になってしまいました。
その状況に大きな危機感を覚えたのが江戸川乱歩です。彼は巨額な自費を投入しただけでなく、自ら編集長となり、宝石再建に乗り出したのでありました。
そのひとつの改革が表紙です。うちの母が嫌悪感を催すような時代遅れのものからの脱却を図ったということでしょうか。それを担ったのが、棟方志功。そう、後の人間国宝です。
さすが、人間国宝ですね。この絵が母の魔手から「宝石」を救ったのでありました。棟方志功の表紙はほんの数号だったようですが、その後も抽象的な絵になったことや、少し紙質が良くなっていったことも幸いだった模様です。
しかし、今の感覚で見ると、とてもミステリ雑誌の表紙とは思えませんね。歴史、民俗雑誌のような感じ。乱歩編集とあるが、柳田邦男や折口信夫あたりがふさわしい、そんな気がします。このあたりが、編集者乱歩の編集センスの限界なのかも知れません。
暗い未来に向かって
そんなわけで、結構な冊数あった探偵小説雑誌は、一部を残して「母に捨てられた」のでありました。しかし、これは第一歩にすぎません。なにせ、実家の残している本はまだまだあったのですから