白犬の柩 ( 垂水堅二郎 )

『絶版本に面白本なし』という格言を再認識しました。


この本の発行元「東都書房」は、ウィキペディアによると、

東都書房(とうとしょぼう)は、講談社内に1956年(昭和31年)から1975年(昭和50年)まで設置されていた、独立採算制の出版部局である。独自の法人格は持っておらず、子会社ではない。講談社本体とは別に、別動隊として独自の出版活動を行った。

という出版社ですが、

1959年ごろから推理小説の刊行に力を入れはじめ、『松本清張選集』全5巻(1959年4月-6月)、『日本推理小説大系』全16巻(1960年4月-61年7月)などを刊行。佐野洋、樹下太郎、笹沢佐保ら新人作家の作品を積極的に刊行した。1961年5月からは、「全部新作、全部長篇」を謳った新書版の『東都ミステリー』の刊行を開始し、1964年までに53冊を刊行した

とあります。
その「東都ミステリー」ですが、代表作と言えば、高木彬光「破戒裁判」、横溝正史「白と黒」、鮎川哲也「人それを情死と呼ぶ」、都筑道夫「猫の舌に釘をうて」あたりでしょうが、実績のない作家も何人か抜擢されています。今日泊亜蘭「光の塔」や、垂水堅二郎の「白犬の柩」は、その代表ではないでしょうか。今回は後者を取り上げてみます。


読んでみると..

貧乏学生の前田泉介はアルバイトの途中、出会い頭に乗用車にはねられてしまう。足を負傷した泉介は、運転していた男女のけんもほろろな対応に腹を立て、身元を探り女性の愛犬を誘拐する。

女性の実家は「白犬製薬」と言う大手製薬メーカー。父親であり社長の大前田逸作は、戦後の焼け跡から裸一貫のし上がってきた人物で、犬は会社のシンボルといった存在であった。ところがいま、逸作は病いに倒れ、言葉も満足に話せない半身不随な状態になってしまっている。

とまあ、こうなると大前田家の後継者争い、財産争いのなかで、それなりの事件が起きると思うでしょうが、これが何も起こりません。事件らしい事件といえば、終盤で辻褄わせのような殺人が起きるだけでありました。ストーリーの中盤からは、犬の誘拐に右往左往する大前田家の有様が延々と描かれるのですが、これがなんというか退屈そのもの。

裏表紙の惹句には『600枚を一気に読ませる新鋭の軽妙奇妙な純本格』とあります。600枚というのは事実なのですが、この後には異議ありです。「一気に読ませる」とありますが、中盤は退屈で読み切るのが苦痛。作者は「軽妙奇妙な」コメディ仕立てのミステリを狙ったようですが、これに成功するには相応の筆力が必要でしょう。また、「純本格」とはとても言えません。ミステリとして大きな謎があるわけでもなく、犯人は誰でもいいようなレベルであり、中盤からラストにこれといった展開も意外性もありません。

まあ、この本がその後復刊されないのは、必然だと思います。


別名も判明

ところで、作者の「垂水堅二郎」をWebで検索したところ、芳野昌之という別名も使っていたことがわかりました。この人、1970年中盤、ハヤカワミステリマガジン(HMM)で書評を担当していた人ですね。その当時大学生だったわたしはリアルタイムで読んでいたのですが、その内容にはいささか不満があり、「どっちつかずでよくわからん。参考にならんぞ!」と何回も毒づいた記憶があります。瀬戸川猛資の後だった気もするので、その格差ゆえなのかもしれません。いずれにしても波長の合わない方だったのでしょう。


東都書房 昭和38年5月20日 第1刷発行 269ページ 260円