原書を読んでいた ( インターネットの時代 )


インターネットの普及

1995年発表のWindows95は爆発的に普及し、それまでマニアのものであったPCは、ビジネスはもちろん家庭内まで浸透します。また、Windows95は標準でネットワーク機能を搭載していたことから、インターネットへ接続することも一般的なものになっていきました。

アメリカの古本屋

さて、そんな一般論はともかくとして、本好きにとって画期的だったのは、

  • 多くのアメリカの古書店が、独自サイトを持っていたこと
  • そのサイトでカタログが公開されており、簡単にアクセスできること
  • クレジットカードがあれば購入もできること

という点ですね。

当時は、アメリカは進んでいるなあ。古本屋もWebビジネスかあ..
と思っていましたが、よく考えてみるとアメリカは、その昔からカタログビジネスが中心でした。そう見ると、ビジネス形態自体は全く変わっていないことに気が付きます。

すなわち、

  • カタログ作成→Web作成
  • 郵送処理→Webでの公開

という流れですね。また、ネットワーク費用は郵送料金より数段格安です。ある意味、メリットばっかりですので、Webに乗り換えるのは極めて自然な展開だった、ということでしょう。

アメリカに戦前、戦後の壁はない

日本は空襲で、本どころか出版社ごと灰と化したケースも少なくありません。また、戦後の出版事情は**「一挙に明治時代に後退した」**と言われるほど壊滅的な状況になっていましたから、30年はじめころまであまり良い本が出ていないといわれています。
そういった状況から、戦前本はきわめて高価です。戦前、戦後という区切りのような概念が明確にあるような気がします。

アメリカから本を買っていて気がついたのは、そういう概念はないということでした。当たり前だよね、空襲なんてなかった戦勝国なのだから。
1920年代の本というと、**「戦前→高価」**というイメージがあるのですが、アメリカでは全く関係がありません。
状態さえ気にしなければ、いろいろな評論で触れられていた未訳の作品が、比較的容易に、かつ意外なほど安く入手できることに、少し驚いたことがあります。

大手サイトも負けていない

この時期に「Amazon.com」は誕生していますし、既存の大手書店であった「Barns & Noble」もサイトを立ち上げています。特に後者は新刊だけではなく、既存の古書店からの出品も多く古書も扱っていました。どうも手数料がかなり高いようでしたが、結構面白い本を入手できた覚えがあります。

アメリカの古書店から買う

そんなわけで、注文してみました。
船便(Surface shipping)だと注文してから到着まで二ヶ月近くかかるのですが、始めて
荷を受け取った時のワクワク感は忘れません。
それから癖になって、1998年から2004年辺りまで、1000冊くらい買ったような気がします。

バイブルは?

まずは、森秀俊氏**「世界ミステリ作家辞典」**です。この辞典は、クリスティ、クイーン、カーなどの大家から、クェンティン、マクロイなど名前は知られているが未訳が多い作家、全く未紹介の作家、など広範囲に紹介している画期的な本ですね。

もう一冊は、同人誌「ROM」でレビューを連載されていたM.K氏の**「ある中毒者の告白〜ミステリ中毒編」**です。ここで紹介されているのは、日本では全く知られていないような作家ばかり、B級作家のオンパレードです。そういう意味で、この本はすごい。

この二冊が、バイブル的なガイドと言ったところでしょう。

現代の読書スタイル

実はこの頃、気がついたことがありました。
現代ミステリは、純粋にミステリ的に見ると極めて冗長度が高いシロモノです。
ミステリ的には全く関係のない主人公の日常生活を詳細に書き、関係者とのたわいない会話にページを割きます。この繰り返しで登場人物を性格付けを明確にしていき、物語の深みを増しているということでしょうか。
これに慣れた読者は、半分飛ばし読みに近いリズムでページを繰っていきます。

こういう読書スタイルに慣れてしまうと、たまにクラシックミステリを読んでみると、妙に薄っぺらさを感じてしまうのです。現行の読書スタイルで読んでしまうと、そういう読後感になってしまうということです。
考えてみると、この手の本を読んでいたのは、主に中学、高校時代のことでした。もう、このタイプのミステリを楽しめる年代ではなくなったのか、と少し寂しく思ったものです。

原書を読むと..

ところが、ある日手元にあったJohn Dickson Carrの「The Four False Weapon」(四つの凶器)を読んでみたところ、思いのほか楽しく読めることに気が付きました。
わたしの英語力で原書を読むとこんな感じです。

  • 読書ペースが極めて遅い。
  • 先に述べたような飛ばし読みができない。

それゆえ原書を読むときは、中高時代のように、一字一句をおろそかにしないスタイルで本を読むことになります。というか、能力的にそうせざるえないわけです。

原書なら昔の楽しさを蘇らせてくれるかも知れない。

これが、クラシックミステリを読み始めるきっかけになりました。

対象は?

未訳のものだけではなく、既約のものも対象にしました。カーを読み返したかったのも動機の一つです。1999年、2000年あたりは年に100冊程度読んでいますから、かなり気合が入っていましたね、あの頃のぼく(笑)。

どんな本を読んでいたかは、下のエントリを見ていただければ幸いです。