File on Fenton and Farr ( Q.Patrick )

面白くは読めるが、犯人当てのテキストとしては不満な点も残る。


「捜査ファイルを読む」 4冊めは...

マイアミ沖殺人事件の好評を受け、アメリカでは William Morrow社が Crimefile Number 1 File on Bolitho Blane(1936) という書名で出版。その後、続けて同趣向の作品を出しました。

  • Crimefile Number 2 File on Rufus Ray(1937) by Helen Reilly
  • Crimefile Number 3 File on Fenton and Farr(1937) by Q. Patrick
  • Crimefile Number 4 File on Claudia Cragge(1938) by Q. Patrick

今回は、その中から「Crimefile Number 3 File on Fenton and Farr(1937)」を読んでみます。本来なら、「Crimefile Number 2 File on Rufus Ray(1937)」から読むべきなのでしょうが、これは非常なレア本。現状の古書価格は軽く100ドルを越えるようなので、とても手が出ません。


事件の発端

1937年6月22日
“グリーンランド・アカデミー(Greenlands Academy for Boys)“という男子校のキャンバスで2つの死体が発見される。
被害者はこの学校長である Dr.Ferdinald A.Fenton と、その秘書である Pauline Arabella Farr であった。Farrは前頭部を撃ち抜かれており、Fentonは凶器であるリボルバーを右手に握っていた。また、現場には遺書のように見えるノートも残されていた。
検視によると、死因はどちらもFentonが握っていた38口径によるものでおり、さらにノートはFentonの自筆と判明する。これらの状況から、FentonがFarrを撃った後、自殺したものと推測された。

Fentonはこの地区の著名人で良き夫としても知られており、夫人の Mrs.Beatrice Fenton と義父の Talbot OSborne と同居している。
Fentonの秘書である Pauline Arabella Farr も既婚、夫である Phillip Farr は病気がちで精神的にも不安定、生活は妻の収入に頼っている。

当日Fentonは、夜の8時にキャンパスにある研究室を出た後、人に会う約束があったというが、帰宅しないため夫人は警察に一報したと言う。


心中から二重殺人へ

当初、心中と思われた事件は、やがて二重殺人と判明することになる。

当日は激しいストームがあり、現場近くで雨やどりをしていた人間は、二発の銃声を聞いたと証言。それによると1発目はストームの前、2発目は雨が降り出してからだったという。
Fentonの靴には泥跡がないのだが、Farrのものには付着していた。これが意味するのは、Fentonは、Farrより前に殺されていたということだ。
また、現場近くのブッシュで25口径のオートマチックを発見されるが、これはFentonの指示で、Farr夫人が自宅から持ち出したものとわかる。FentonとFarrは、当日8時半にボートハウスで会う約束をしていたようだ。関係者には経理関係の打ち合わせと言っているが、ボートハウスは、それにふさわしい場所ではない。この会合は第三者を含めたものであり、危険を予知して銃を携帯したのではあるまいか。

Fentonは、8時15分に家を出ている。ボートハウスに向かう途中、ストーム以前に近くのブッシュで至近距離から撃たれた。Farrは彼をボートハウスで待っていたが、最初の銃声に驚きボートハウスから出て、25口径を手にブッシュに向かったようだ。倒れているFentonに駆け寄るが、その時近づいてきた犯人に至近距離から前頭部を撃たれたのであろう。


容疑者たち

Mrs.Beatrice Fenton
夫人は実の父と同居。経済的に親子ともFentonに依存している。財産目当てという意味では動機になりうる。夫がFarrと関係があったとは思わないと言っているが、嫉妬の感情があっても不思議ではない。また、Fentonから自由になって、Major O’Rourkeと結婚したいという願望があるようだ。
犯行時間には、Major O’Rourkeと泳ぎに行っており、その後映画にでかけたと言う。現場から6マイル離れた地点で車が目撃されており、それがアリバイになっている。

Talbot OSborne
Beatrice Fentonの父親。鳥類研究家で著作もある。Fentonから独立したがっていたかもしれない。また娘の扱いに不満があったことも考えられる。犯行時間は、写真撮影に出かけていたと言う。アリバイはカメラのネガから証明された。

Phillip E.Farr
亡くなった秘書の夫。Fentonへの嫉妬と、夫人が死ねば$20,000の生命保険が得られるという両面の動機がある。
犯行当夜、夫人はFentonとの打ち合わせで遅くなるとし、7時ころ徒歩で外出。その際には銃を持ち出したようだと言う。その際少し後をつけて、Farr夫人が男性と抱き合ってキスをしているところを目撃したと証言。彼はそれがFentonであると疑わないが、その距離から確認できるだろうか。そもそも、Fentonは、8時15分まで家にいたと夫人が証言している。7時過ぎにそこには行けるはずもない。また、FentonはFarrが愛人に求めるようなタイプではない。Farrには別の愛人がいたのではと考えられる。
Phillipは、犯行時間の10数分前に自宅の電話に応答していることが判明。その後に、不健康な彼が自宅から犯行現場に出向くことは難しいと思われる。

Major O’Rourke
アカデミーのNO.2で、Fentonがいなくなれば、校長の地位を手に入れることができるうえ、Fenton夫人との結婚も可能になる。現在は経済的にも問題があるようで、動機は十分であるが、犯行時間にはFenton夫人と一緒にいたというアリバイがある。

Miss Denniston
音楽教師。生徒に対しての言葉遣いが悪い点をFarrに指摘された後、Fentonに解雇された。Farrの告げ口で職を失ったことを不満に思っている。
犯行時間は、Larry Hollandと映画に行っていたと証言。映画の途中で上映が途絶えた瞬間があったという。8時30分過ぎのことで、これはアリバイを強化する事実である。
現場近くのボートハウスで、スイッチの指紋を消そうとしているところを捜査員に阻止されている。なぜ証拠隠滅を図ったのであろうか。

Larry Holland
彼はボートのコーチ。女癖が悪く、Fenton夫人にちょっかいを出したこともあった。犯行時間は、Miss Dennistonと映画に行っていたと証言。



横領事件が判明

その後の捜査で、Farrが横領事件の調査を進めていたことが判明する。何とフランスの銀行に彼女名義で口座ができており、会社から多額の振込が行われていたのである。
Farrは当初Fentonを疑い詰問するが、最終的にサインを偽装した横領犯の存在が浮かび上がる。犯行当日、FentonとFarrが会おうとしていたのは、この人間ではなかろうか。


解決編を読んで

捜査員Aと容疑者Bの共犯という解答を考えていたのですが、はずれました(笑)。

さて、実際の解決編ですが、犯人を割り出すきっかけとなる手がかりが、今ひとつぱっとしません。ですから、そこから導かされる結論にはいささか拍子抜けしますし、何の意外性もありません。アリバイトリックにもがっかり。まあ、アリバイを崩せるのは、この人間しかいませんけどね。
わたしのプロットのほうが面白いんじゃないかあ(笑)。

ただ、読んでいて退屈なわけではありません。報告書を連続して読むことになるのですが、それなりの臨場感もあって楽しく読めます。このあたりは作者の確かな筆力を感じます。
報告文なので、英語も簡単で読みやすい。ただ、まいったのは筆記体。

こんな文書、読めません。1937年当時の英語圏の人間には問題なかったのでしょう。


購入したのは

記録をみると、1999/3/21にBarns & Nobleの古書サービスにて、$37.50で購入したようです。その当時は、「捜査ファイル物」を読もうとしていたわけではなく、Q.Patrick(パトリック・クェンティン)がただ好きだったから買った、そういうことだと思います。今回改めて表紙をみると、この本、イギリス版ですね。逆輸入されたというところなのかな。

さて、この作品ですが、残念ながらその後どこからも再刊されていないようなので、現在入手するのは少し難しいかもしれません。