The Forbidden House ( Michel Herbert & Eugène Wyl )

犯人消失の不可能犯罪は魅力的だが、その必然性と小説としての面白みに欠けるのが残念。



今回も、Locked Room Internationalの一冊を読んでみます。知らないフランス作家ばかりなので、読む前には期待と不安を同時に感じるシリーズですね。

主催者であり訳者でもあるJohn Pugmireの序文によると、著者のMichel HerbertEugène Wylは、現在ではほとんど忘れられていますが、1930年代に3つの不可能犯罪物を書いたとのことです。今回紹介する「The Forbidden House」(La Maison interdite、1932年)は、この合作者最初の作品で、「Roland Lacourbe’s admirable 1001 Chambres Closes」で称賛されているとのこと。これが何なのか全く知りませんけど(笑)。


こんな話

食品業界で財を成したNapoleon VerdinageMarchenoire Manorと呼ばれる邸宅を購入したとことから話は始まります。

その館「Marchenoire Manor」は、完全に壁に囲まれた5ヘクタールの敷地の中にあるモダンで壮大な邸宅であった。Verdinageは相当な高額を支払ったのであるが、現在の社会的地位にふさわしい邸宅を見つけたことに心から満足していたのである。

さて、この「Marchenoire Manor」であるが、有名な銀行家Abraham Goldenbergによって5年ほど前に建てられたものであった。その後Goldenberg自身は、複数の人間から大金を騙し取っていたことが判明、海外へ逃亡を企てるのだが、直前で逮捕されてしまう。彼の自白によれば、騙し取った金は投機に失敗、すべてを失ってしまったと言うのだ。しかし、それを疑う向きも少なくない。詐欺罪で服役したGoldenberg自身は、数年後に獄中で死亡、彼の妻も後を追うように服毒自殺してしまった。

当主を失った「Marchenoire Manor」はすぐさま売りに出され、M.Desrousseauxという人物に買い取られたのであった。
ところが、その邸宅に移り住んだ途端、彼の元には「この館から立ち去れ」という脅迫状が届くことになる。それを無視していたDesrousseauxだったが、3通目の脅迫状が届いた翌日、彼の死体が発見される。ライフルによる射殺であった。この事件は今日に至るまで未解決になっているという。
それ以降、「Marchenoire Manor」は複数の人間によって所有されていくのだが、その都度脅迫状が送られてくるのであった。その脅迫に怯えた彼らは、館からの退去という道を選んでしまう。この頃から、館は「The Forbidden House」(禁断の館)と呼ばれるようになったらしい。

Verdinageは、村人から過去の経過を聞かされるが、この館を気に入っている彼はここから去るつもりは毛頭なかった。しかし、その彼のもとにも脅迫状が届くことになる。館に入ったその当日には、すでにマントルピースの上に最初の脅迫状が置いてあったのである。さらに2通目は誰も入り込めないはずの閉ざされた酒蔵で発見された。そして、3通目の脅迫状には「本日深夜に館を訪れ、貴様を殺す」とあったのである。
そして、その当夜、予告どおりにVerdinageが衆人監視の中で殺害されてしまう。犯人が館内まで入ったことは複数の人間が証言しているのだが、殺害後に消え失せてしまったのである。館内部の捜索では何も見つからず、外部にいた目撃者は何も見ていないという。犯人が殺害後、館から出ていくことは不可能な状態だったのである..。

ここまでで、約1/3。謎の提出完了というところでしょうか。
その後は、予審判事、警察、検察、挙げ句は外部の私立探偵まで登場、入り乱れての捜査が進みます。(捜査というより、不可能状況の確認、それを強調するだけの作業なのですけど。)
彼らの見解は一致しませんが、唯一の遺産相続者である人物が法廷に引き出されることになります。そこで、意外な人物によって真相が明かされることになるのでした..。


読み終えると..

雨の夜の殺人事件と犯人消失の謎は非常に魅力的ですが、基本的にこの小説はこの一点のみに支えられています。中盤からの展開は、登場人物の動きや複雑な構成を、ただただ不可能設定を強調するために繰り返し述べているだけで、ほとんど進展がありません。また、色々な人物は出てきますが、動きに乏しく小説としての面白みに欠けています。

肝心の不可能犯罪についても、「なぜ、犯人はわざわざ衆人監視の中で殺人を実行しなければならなかったのか」、また、被害者自身も「なぜ、あんな行動に出たのか」という疑問が残ります。あたかも、犯人はもちろん被害者までもが、この不可能状況を可能にするだけのために行動しているかのように思えてしまうのです。
あまり野暮なことは言いたくありませんが、不可能犯罪については、どうやって(How)よりも「なぜ(Why)そうしたのか、そうなったのか」という必然性が重要だと考えるからです。忘れられた作家の、それも1932年発表の作品にそこまで要求するのが無理なことは百も承知ですが、不可能犯罪設定がよく出来ていただけに、残念に感じられてしまいます。
それでも、この作品の不可能犯罪とその謎解きは今でも面白く、読む価値は十分にあると思います。