探偵雑誌「宝石」とその傑作選 ( アンソロジー )

「宝石傑作選を読む」をはじめましょう。



探偵雑誌「宝石」とは

探偵小説雑誌における戦前の代表が「新青年」であるとすれば、戦後のそれは間違いなく「宝石」でしょう。
Wikipediaの紹介は、

推理小説雑誌として1946年創刊、1964年まで発行された。出版社は、創刊時は岩谷書店、1956年からは独立した宝石社となった。この期間の日本の推理小説界を代表する雑誌。

といささかそっけないですが、横溝正史は後述する「宝石推理小説傑作選1」の序文のなかで、

昭和二十一年の初頭、即ち終戦の翌年いちはやく創刊された雑誌「宝石」こそ、日本における推理小説の再建をたからかに告げる起床ラッパのようなものであった。いや、それは単に推理小説のみならず、日本文化の再建をうながす起爆剤のようなものであったらしい。
不幸私はその当時岡山県の片田舎に疎開していたので、当時の反響を知るよしもなかったが、昭和二十三年の夏東京へ引き揚げてくるに及んで、じつに多くの人びとから、当時の「宝石」がいかに熱狂的に歓迎されたかを聞き、いまさらのようにこの雑誌の果たした役割の大きさを知ると同時に、その雑誌の創刊号から参与することの出来た自分の幸福を、あらためて思い知らされたのである。

というように、熱く語っています。

このように登場した「宝石」は、創刊号より横溝正史が「本陣殺人事件」、「獄門島」を続けて連載、乱歩は「幻影城通信」などで積極的に海外の動向を紹介していきます。さらには大坪砂男、香山滋、山田風太郎、島田一男、高木彬光といった新人五人男も登場し、戦後を代表する探偵雑誌の地位を確固たるものとしたのでした。


「宝石」の停滞

しかし、この好調は長く続きません。1950(昭和25)年辺りから状況がおかしくなり始めるわけですが、
探偵小説年鑑(1951年版)で紹介しましたように、乱歩は、下記のように指摘します。

「新青年」に代って、探偵作家唯一の本拠となった「宝石」誌は戰後の創立であり、戦後派通有の弱点を持たぬではなかったけれど、岩谷社長をはじめ、城昌幸君その他幹部の闘志により、幸にこの難局を打開し、社運を安定させることが出来た。しかし、二十五年後半期は難航中の難航で、編集も全くお座なりとなり、作家達の意気を乱喪せしめること甚しかつた。

また、翌年の探偵小説年鑑(1952年版)では、

昭和二十七年には、岩谷書店に、社長更迭などのことがあったために、この年鑑も例年に比べ発売が非常におくれ、昭和二十八年に入って漸く二十六年後の作品集を出すようなことになった。

と、その内実を当の出版社の刊行物で暴露するというのは、少なからず腹を据えかねることがあったのかもしれません。

乱歩、「宝石」の編集に乗り出す...

その後、「宝石」の不振は悪化の一途をたどり、ついに乱歩自ら経営と編集に乗り出すことになります。
そのあたりについて、Wikipediaには、

1957年2月に経営悪化が日本探偵作家クラブで問題となり、てこ入れ策として8月号から乱歩が編集長となる。この頃は赤字経営で原稿料不払いも恒常化している状況で、乱歩は私財数百万円を注ぎ込んで立て直しを図った(立て替え分は後に宝石社より返済された)。新連載として横溝正史『悪魔の手毬唄』、坂口安吾『復員殺人事件』(「樹のごときもの歩く」に改題)の復刻と未完部分の高木彬光による執筆など、各作品に乱歩によるルーブリック(序説)を付すようにし、発行部数は5割増し、1年ほどで赤字解消にこぎ着けた。

と書かれていますね。

これで、一旦は体制を立て直した「宝石」ですが、推理小説市場の拡大のなか、そもそも原稿料の安い「宝石」に書き手は集まらないなどの要因から、その後は尻すぼみ。結局、1964(昭和39)年に廃刊、雑誌名だけが光文社に買い取られることになります。


「宝石」のインデックス

さて、19年に渡る歴史の中で、「宝石」は、本誌以外に別冊、増刊が多数発行されたので、その全体を把握することは難しいですが、中島河太郎は「宝石推理小説傑作選3」巻末の「『宝石』総目録」で、

本誌は二巻五号が発行されなかったが、号数のない増刊二冊があって計二五一冊、だから最終号の創刊二五〇号記念号は誤っている。別冊は五六分が発行されず、通巻一二九号 まであるが、通しナンバーのない二冊があるので計一三〇冊、あわせて三八一冊となる。

と記述しています。

その雑誌「宝石」の全体像をまとめたものでは、慶応推理小説同好会が1973(昭和48)年に発行した「宝石総目録 付・作家別索引」が、まず第一の資料でしょう。

この「宝石総目録」は、全368ページに至る労作ですが、序文では、

戦後探偵小説の母屋とも言うべき「宝石」もこれまで一部の熱狂的マニアの手にしかはいらず、欠番さえも不明であり、容易に 利用しうる状態にはなかった。本書はその実体を明らかにし、探偵小説を愛し研究する人々の便をはかるために二十周年を迎えた慶應義塾爆理小説同好会がその記念事業としてOB諸氏およびSRの会の協力をえて作製したものである。

と、その編集経緯を説明しています。
ちなみに、中島はさきの「『宝石』総目録」のなかで、

先に慶応義塾大学推理小説同好会から刊行された『宝石作品総目録』は、作家別索引を付し、月評類はとりあげられた作品を列記するほど親切な労作だが、十五巻七号、十五号、 別冊終刊号を欠き、さらに誤脱が多いから注意されたい。

ときついことを言っています。学生に厳しい先生ですな(笑)。


「宝石」を読むには..

「宝石」の作品群に触れるのであれば、バックナンバーを読むのが一番でしょうが、現状入手には、かなりの困難を伴います。
わたしは、かつて創刊号を含め、かなりの冊数を所持していたのですが、本好きによくある悲劇に巻き込まれ、現在ほとんど残っていません。

となると、「宝石傑作選」とでもいうべきアンソロジーを入手して読むことが現実的な選択となります。このようなニーズに答えるべく、雑誌「宝石」に関するアンソロジーは、これまでに数回出版されていますから、まずはそれらを紹介していきましょう。

いんなーとりっぷ『宝石推理小説傑作選1〜3』

1974(昭和49)年に、「いんなあとりっぷ」から発行された「宝石推理小説傑作選1〜3」が、その最初のものとなります。
発行者は「宝石」最後の編集長で、その後「いんなあとりっぷ」を創刊した大坪直行。編集委員は、鮎川哲也・大内茂男・城昌幸・高木彬光・中島河太郎・星新一・山村正夫・横溝正史といった顔ぶれです。
全3巻と言っても、分売不可3巻1セットのもので、限定888部、価格は27000円でした。当時高校生だったわたしには、とても買える値段ではなかったので、指をくわえて見送るのみ。社会人となった後年、オークションで入手(18000円)しました。

このセットの特徴は、なんと言っても「書籍とは思えない横長の化粧箱に入っている」こと。誰がこんな企画をしたんでしょうね。

見てもらってわかるように、邪魔になること甚だしい(笑)。本棚にはとても入らないので、壁の隙間に押し込んでいます。

角川文庫『「宝石」傑作選集 全5巻』

1978(昭和53)年から1979(昭和54)年にかけて、角川文庫から『「宝石」傑作選集 全5巻』が刊行されています。これは、前年出た『新青年傑作選集』と対になるものです。

「新青年傑作選集」同様、先に刊行されたいんなあとりっぷ版との重複をできる限り避けるよう留意したとあります。

また、最近では光文社文庫からも、「宝石」関係のアンソロジーが何冊か刊行されているので、それらも対象に含めて、読んでいきたいと思います。