佐武と市捕物控 死やらく生 ( 石森章太郎 )

写楽の正体を軸にしたプロットは面白いが、犯人当ての興味に乏しく、「捜査ファイル」物の必然性にも欠如している。



「捜査ファイルを読む」 8冊めは...

中央公論社から出ていた「捜査ファイル」物は、デニス・ホイートリーとジョー・リンクスが組んだ4作

それに加え、和久峻三の「雨月荘殺人事件(1988)」だけと思っていたのですが、その間に「漫画捜査ファイル・ミステリー」として、こんな作品が出ていたとは知りませんでした。石森章太郎の「佐武と市捕物控」と言えば、ミステリファンで知らない人はいないでしょう。帯には「第一弾」とありますが、それ以降があるのでしょうか。

造本は、箱入りの化粧箱の内部に、紐で括られた捜査ファイルを格納しています。3200円という価格からもわかるように、なかなかの豪華本です。


絵師の死体が発見される…その正体は..写楽。

帯に洒落た作品紹介がありますので、まずはそれを引用しましょう。

江戸は大川の河原に死体が一つ...。
現場に残された簪に”め”の字の将棋の駒、錦絵用の雲母。
こいつは謎の絵師写楽だぜ、と佐武。
大判大首絵で今売り出しの絵師なのに、誰も姿を見た者はない。
東洲斎写楽とは、そも何者か。探れば探るほど、深まる謎...。

発見された死体は大業物で腕を切り落とされた失血死、その後大川に投げ込まれたようだ。
死体の遺留品は、紅の偽”石見銀山”、珊瑚珠玉の鼈甲の簪、裏が”め”の字になっている将棋の歩の駒、そして印判。死体の残っている左手の爪の間からは、金箔の雲母が見つかった。

死んだ男は絵師、それも去年から”蔦屋”が売出しにかかっていた東洲斎写楽ではなかろうか。


佐武は、謎の絵師”写楽”を追うが...

ご存知のとおり、写楽は謎の絵師。版元の蔦屋も、絵は都度使いのものが届けてくるだけで、正体は知らないと言う。ようやく写楽の借家を見つけるが、そこは全く生活感のない空間であった。

佐武は、写楽の死体に付着した金粉や雲母が、水に流されていないことに疑問を持つ。見つかった死体は、写楽に見せかけた偽の死体ではないか。武士に片腕を落とされて大川に投げ込まれた後に、誰かが死体に細工をして写楽に見せかけたのでは、と言うのだ。

遺留品にあった手鏡にあった吉原の紋から、扇屋の滝川という遊女が浮かび上がる。吉原の客となった佐武に、滝川は「扇屋に来る前は、長崎丸山の遊里にいた」とを打ち明ける。滝川は長崎を舞台にした大掛かりな抜荷について何かを知っているようだった。

しかし、その翌日、滝川は何者かに殺されてしまう。捜査の手が伸びてきたことに気づいた何者かが、口封じを図ったのであろうか。


豪華登場人物陣を前に、佐武が啖呵を切る!!

写楽にまつわる事件ですから、登場人物は豪華です。版元の蔦屋重三郎、まだ売れていないが「十返舎一九」に、作中では狂言回し的な役割の「式亭三馬」、蔦屋の稼ぎ頭「喜多川歌麿」、戯作者「山東京伝」、さらに「葛飾北斎」、幕臣の「太田蜀山人」。

彼らを前にして、佐武は「手前らの中に...写楽と滝川を殺した下手人がいる」というのだった。

袋とじのページに「読者への挑戦」が書かれています。

この一件(やま)の下手人は誰か...  
そしてその動機は?  
貴方自身で推理なさってから  
封を切って下さい。  

結末編を読んでみれば...

さて、佐武の啖呵はなかなか立派ですが、実ははったりにすぎません。詳細は避けますが、この作品、犯人当てのテキストにするには無理がありすぎるからです。石森章太郎が書きたかったのは、写楽の正体を軸にした陰謀物であり、幕府の締め付け政策に抵抗する江戸者の意地といった人物像なのです。
確かに、写楽をテーマにした展開はそれなりに面白く読めますが、犯人当てへの展開がまったく感じられません。

「捜査ファイル」物として成り立たせるには、ミステリ的要素が不可欠です。「貴方自身で推理なさってから、封を切って下さい」とありますが、推理できる要素が極めて少なく、一体何をどうやって推理しろというのでしょう。それを可能にするには、例えば、幕閣を巻き込んだ陰謀を狡猾に利用する人物を設定するなどして、何らかの意外性を持たせるような構成が必要だったように思われます。

また、遺留品などがいろいろ添付されていますが、謎解きにはほとんど関係がないものであり、捜査ファイル形式にする必然性にも欠けているとも言わざるえません。


中央公論社 昭和五十八年十一月十五日印刷 昭和五十八年十一月ニ十五日発行 124ページ 定価3200円

2020/07にAmazonで購入。送料共1246円でした。添付品が2品欠如だったので、安かったですね。