衝突針路 ( 高橋泰邦 )

海洋物の力作。ラストの海難審判まで読ませる。


別冊EQMMは、結局3号ならぬ4号で終わってしまった雑誌ですが、その中で気を吐いていたのが高橋泰邦でした。わたしは、別冊EQMM3号の感想で、

結局、ここまで別冊EQMM掲載の日本作家では、島田一男の鉄道公安官物、高橋泰邦の海洋物だけが水準以上の作品。後はとてもEQMMに載せられる作品ではないですね。

と述べましたが、島田一男はすでに地位を確立していたベテラン作家ですから、「高橋泰邦の海洋物を世に出したこと」、それが別冊EQMMの唯一の収穫と言えるかもしれません。ですから、早川書房初の日本人作家書き下ろしである「日本ミステリ・シリーズ」に高橋が抜擢されたのは当然の帰結と言えるでしょう。

今回の長編も当然のことながら、海洋物。作者もその期待に答えるべく相当に力を入れていたようで、「あとがき」で下記のような強い意気込みを語っています。

たしかに、船と人と海の世界を書くことは難しい。日本人読者の身内に眠っている血をかきたてることはなお難しい。だが、誰かが書かなければならない。誰かが日本人の体内にひそむ海洋民族の血潮を目覚まさなければならない。それには天才が出現し、海洋物を文学に引き上げてくれることを期待するほかないだろう。だが、その前に、天才の出現する地盤を用意しななければなるまい。巨船が七つの海を圧して航海している今日を拓いたのは、帆船時代に、船脚の浅い小舟で、大洋に挑んだ向う見ずの海の男たちだったのだ。私は彼等が果たした役割を、海洋文学の未来のために果たそうと思う。男の一生をかけて悔いのない仕事だ。大それた望みである。 自分の非才は百も承知だ。だが、阿呆のように一途に、それをやりつづけようと思う。とにかく誰かがはじめなければならないのだ。

気合が入っていますね。


それでは、ストーリーを見ていきましょう。

貨物船多聞丸は、海霧(ガス)のなか三陸沖を航行していたが、突如右舷に他船を発見、懸命の操舵も虚しく衝突事故となった。しかも、全員退船の命令が下るなか、二等機関士である久保が行方不明、その後船室内で溺死体として発見されるという大事件となる。
二等航海士の小野寺こと「わたし」は、成り行きから事故の責任を一手に引き受けるはめとなり、海難審判の被告となってしまう。自らの冤罪を晴らすべく小野寺は、現場に駆けつけた久保の妹、千鶴子とともにその真相を追う。どうやら内部に内通者がいることに気がついた小野寺だったが、その真相は「海難審判」で明らかになるのであろうか。


読み終わって..

作者はハヤカワミステリの訳者としても活躍されていますから、そこから学んだであろう一人称のストーリー展開には淀みがなく、序盤から読者を引っ張っていくだけの魅力に飛んでいます。この時代、主人公に魅力がない日本ミステリが多かったなか、その構成は評価できます。
しかし、残念ながら中盤から明らかになっていく悪役のレベルが、どうしようもなく低いのが物足りません。麻薬密売の小悪党にすぎず、敵役としての存在感がありません。冒険小説では、主人公が悪役を打ち破っていく、そのプロセスが大きな魅力ですが、残念ながら本書にそのようなカタルシスはありません。同時にミステリとしての構成にも問題ありで、特にこれといった謎というものが存在しないのは如何なものでしょうか。
第三部の「海難審判」にて小野寺の弁護を務める補佐官で、一癖も二癖もある大滝、被害者の美しい妹である千鶴子などの登場人物も悪くはありませんが、ディック・フランシスを始めとする翻訳物を読み慣れた読者には、その造形に物足りなさを感じるでしょう。
それでも一気に読ませる魅力はありますし、何といっても「海洋ミステリ」という、今までなかった分野に挑んだ立派な作品だと思います。

早川書房 昭和36年11月20日印刷 昭和36年11月30日発行 345ページ 330円